「痛み 人と人を結ぶ鎹(かすがい)」【デジタルプロフェッショナル学科】
2022年の「今年の漢字」は、「戦」でした。
2月から始まったロシアのウクライナ侵攻はまだ終わっていませんし、
2年前から始まった新型コロナもまだ続いています。
物騒な一年でした。
2年ほど前に交通遺児育英会に少額の寄付をした縁で、
広報誌「君とつばさ」が自宅に送られるようになりました。
オンラインでどなたでも読めるようです。
こちら➡https://www.kotsuiji.com/kohoshi/
この中で私が一番興味深く読んでいる記事は、
交通事故で親を亡くした若者を取材した記事です。
彼ら、彼女らが力強く生きていこうとしている姿の記事を読むと、
応援したくなる気持ちでいっぱいになります。
「希望」という言葉はこの若者たちのために
あるんだな、と思います。
他にもコラムを毎回共感して読んでいるのですが、
今回は理事長のコラムを一部紹介させていただきます。
タイトルはこのブログのタイトルと同じです。
だが人は自分の感じる痛みについては
いついかなる時も鋭敏ですが、
他人の痛みについて鈍感であったり、
想像できなかったり、他のことに紛れてその痛みへの
想像が至らなかったりすることがよくあり、
それがいろいろの争いごとの起点になってきたのではないでしょうか。
そのことは小さな個人間の争いごとから、
ロシアのウクライナ侵攻のような国と国との間の大きな争いごとについても
言えることだと思います。
新型コロナで大事な方を亡くされた方、後遺症で苦しんでいる方の痛み、
(日本で今日現在、5万5千人以上の方が亡くなられています)、
ロシアの侵攻で家族や友人、家を失ったウクライナの方の痛みは
察するに余りあるものです。
当事者の気持は本当のところ本人にしかわからないものですが、
痛みを想像して、寄り添うという姿勢は、
人間が社会的な動物として豊かに生きていく上で、
欠かすことができない何かなんだと思います。
来年にはウクライナでの戦争と新型コロナが終結することを
心より願っています。