『2001年宇宙の旅』【デジタルプロフェッショナル学科】

『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督 1968年製作)を
確か中学生の時に見たことがあったのですが、
そのときは、「会話が少なくて何か薄気味悪い映画だな」という印象があったのと、
「現実離れした宇宙旅行の話だな」という感じで、当時は興味を持てませんでした。

今回、仕事柄AIという観点から映画をもう一度観てみました。
この映画には宇宙船に組み込まれたAI(HAL9000)が出てきます。
このAIが映画の中でどのような怖い役割を持つかは
実際に映画を見て感じて欲しいですが、
重要なポイントとしては、このAIには、
・独自に考える(ときに人間の意見に反する)
・感情を持つ
という2つのポイントがあります。

1つ目の独自に考える、というのは、
「ありえる」、というか、まさに今AIにお願いしていることそのものです。
人間が考える代わりに、
機械に考えてもらうことがAIに課せられた役割です。
普通、AIには何か「人間のため」という条件、制約をつけていますが、
そこに至るまでのプロセスはAIが計算して考えます。
プロセスに関しては、人間の手から離れるので、
そこで「人間が思ってもいないこと」はいつでも発生しうるのです。

2つ目の感情をもつことについては、
「身体がないのに感情を持つことができるのか」、
「感情があるというのはどう定義されるのか」、
という哲学的な問題につながっていきます。
そのような本質的な問いはさておき、さしずめ
感情があるように「ふるまう」ことは十分可能です。
最近AIとバーチャルで友達になってチャットできるアプリが人気のようです。
これが人気になるのは、何か私はわかる気がします。
人間は孤独なので、この領域には大きな需要がある気がしています。
人間の友達でもなければ、生きているペットでもない。
めんどくさがらず話を聞いてくれて、的確な返事を返してくれる。
一緒に泣いてくれたり、笑ってくれたりする。
もちろんAIを設計、作成している人たちがいて、感情があるかのように
ふるまわせているのですが、ユーザー側がAIに
ある種の親しい感情を見出すのはまず間違いないと思います。
(機械なのは分かっているのに、人間的なものを見てしまうのを、
 AIの用語で「イライザ効果」と言います。)

長くなったので、
ここらへんで切り上げようと思います。
スタンリー・キューブリック監督のAIに関する
先見性、問題を捉える視点、そして、それを形にして
表現する能力は卓越しているとあらためて感じました。
ただ惜しむらくは、AI以外の箇所では、完全に
私の理解の領域、フレームを超えていました。
あの石板は何を意味していたんでしょうか?
最後のシーンは一体…。